どうしよう、なんだろう、この感じ(虚しい、自分は何をしているんだろう、生きがい?つらいのも何もないのも嫌・・・でもまさにいまそれ)

 

出かけたり人と騒げばその悩みは顔を出さない。

勉強しているときもそう。

一回始まってしまえばそれほど顔を出さない

 

朝起きて何かをしなければいけないという設定がない

そのせいでずっと横になっている

なにかし始めたい、でもその必要はないからずっとそのまま、何も始まらないなぁ、つらいなぁ・・・

 

スマホは手元にある

今日は2時間も映画を見た

朝から

とても感動する映画だった

でそのあと喪失感が襲ってきた・・・

登場人物のキャラクターが小さいときは弱くてお母さん子だった

その子が自立してもう帰ってこなくなる、

そのときたまらなくなってしまった

それが今も続いててなぜか自分が母親のような気持ちになってものすごい孤独感を背負ってる

 

そのままこのうやむやな精神状態で思考がつづいている

パジャマの私は気づいた

「出かける必要がなくても着替えないと死んでしまう、なにかきついものを履かなければ・・・」

「『規則正しく生活しましょう』という標語は自由という苦痛を与えに与えられ苦しかった人たちによって出来上がったものなのかも」

 

でも少し経った今は思う、

規則正しく生活するのは、いろいろなパフォーマンスを上げるのに効果的だから広まった、

同時に(それ由来ではなく)それを外してしまうと人間うまくいかなくなってしまう、

だから偶然だけど、標語と現実が一致していたのかな

 

今日もお母さんを見ると安心する、

私はお母さん子とかそういうのに子供のころなったことがなかった

甘えん坊になったこともなかった

それが今になって初めて強く「いないと寂しい」とか「横で寝てると安心する」

とか感じるようになった

 

ほかにもある、不可解な心境がたくさん

正直対処しきれてないんだ

でも「少し休んだらいい」っていうのは効かないと思う

十分に休んだ結果がこれだから

人に吐露して慰めてもらうっていうのも解決にならなかった

そもそも慰められたと感じることはあんまりない(皆無ではないんだけど)

問題を共有してもらうことでできる関係性とか絆とかそういう副産物はあるかもね

ここまできて思うのは、結局ひとつひとつの感情を整理して眺めてみて分析したり放置したりいろいろして、理解したり慣れたりするしかないんだ

 

忙しくしてるっていうのは精神衛生上とても良いことなんだ、っていうのはわかった。身をもって。

でもただ忙しくしてこの問題を放置しておいても、なにか悪い予感がする

たぶん時が解決してくれたり、他のことをいろいろしてるうちに自然と解決することが少なくないと思う

 

でも、またこうして病んだときに、どう対処していいかわからないのはとても苦しいことだ

 

ひとつ知っている対処法は、こうやってただただ書き出してみること

構想もない、言葉も洗練されていない、

でも頭の中にとどめておくと、どんどん増えて、しかも同じことを何度も繰り返し考えるからのべ回数がすごい

それが無駄な脳と精神のエネルギー消費になっているんだろうな、っておもう